前回紹介した「時刻表復刻版1987年4月号」を手にして最初に見たのが、地元、下関駅の時刻です。
そして、当時のダイヤと現行のダイヤを比較してみました。

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 で、表にしたのがこちらです。(クリックで拡大。さらにクリックすると等倍になります)
今回は上り列車を見ていきます。

ピンクの部分が1987年、水色の部分が現行(2017年)です。
2017年の方には空の行がありますが、これは比較しやすいように、87年と2017年で大体同じ時刻の列車が同じ行に並ぶようにしたからです。

普通列車オンリーで、全列車が折返しの現行ダイヤと比べ、87年は華やか(山陽新幹線開業前ほどではないものの)です。

本数

まずは手っ取り早く本数の比較です。
87年は山陽・山陰方面と九州からの列車を合わせて117本、2017年は134本です。
(時刻表に掲載されている本数基準。臨時列車を含み、客扱いをしない列車は除外)

2017年の方が本数が多いですが、これは単に下関で山陽・山陰方面と九州方面で系統が分断され、直通列車が1本もないからです。
そこで、上記の表では、九州~山陽・山陰の接続が行われる場合は両者を1行にまとめて、直通列車に見立てて記述しました。
こうして見ると、やはり現在は列車の発着頻度が下がっているのが分かります。

列車本数の内訳は、
●九州から
1987年:58本
2017年:62本

●山陽方面
1987年:52本
2017年:46本

●山陰方面
1987年:31本
2017年:24本
となっています。
(時刻表に掲載されている本数基準。臨時列車を含み、客扱いをしない列車は除外)
1987年の本数は、九州からの直通列車があるので、重複して数えている列車があります。

優等列車が全廃された現在は、当然ながら本数は減っています。
しかし、九州方面は逆に本数が増えています。
優等列車が廃止された分だけ減るのではなく、逆に普通列車ばかりが増えているのです。

運転系統(始発駅と行先)

運転系統も、当然ながらかなり違います。
現在は運用区間が狭まり、パターン化された感じが否めませんが、当時は行先や始発駅が多彩です。

意外だったのが、当時の鹿児島本線の快速は、日中は下関発着だったことです。
鹿児島本線のページを見ると、日中の快速は上りが下関行き、下りが門司港発となっています。
交流型電車で運転されている現在ではなし得ない運用です。

山陽本線では、呉線まで行く列車が結構な本数があります。
現在はラッシュ前後に数本設定されている宇部線直通列車も、2時間に1本ほどの割合で設定されています。
管理人が利用する小月駅で折り返す列車は1本もありません。

最終の厚狭行きは気動車ですが、これは管理人が小学生の頃までそうなっていました。
というか、管理人が小学生の頃のダイヤは、この87年のダイヤの原形がある程度残っていました。(始発直後の厚東行き(220M)など)

山陰本線は、何と言っても客レや急行がまだまだ健在。
早朝には、驚くべし出雲市行きがあります。(842レ)
やはり、機回しが必要な客車列車は小回りが利かないのか、中~長距離運転で、少なくとも長門市以北へ向かい、東萩、益田、浜田行きもあります。
そして、客車列車は宇賀本郷に止まりません(手持ちの1973年の時刻表でも客レは宇賀本郷通過だった)。

ちなみに、各方面の普通・快速列車の終着・始発駅で最も遠いのが、
山陽本線(終着駅):岡山
山陰本線(終着駅):出雲市
鹿児島本線(始発駅):熊本
日豊本線(始発駅):幸崎
でした。
岡山行きは、後年のように快速シティーライナーにならず、各駅停車の純粋な普通列車です。

その他の注目ポイント

臨時列車「先帝祭号」
「先帝祭」は、5月2~4日に、下関市の赤間神宮で催される、安徳天皇を偲ぶ祭事です(「海峡まつり」という大々的なイベントが合わせて開催され、そのメインイベントとなっている)。
それに合わせた臨時列車なのですが、山陽線の便も気動車で運転されています。車両はキハ58系でしょうか?
現在のイベントのための臨時列車は愛称名が付かないので、そこに当時と現在の意識の違いを感じます。

L特急にちりん8号・24号
一時期下関発着便があった「にちりん」ですが、ちょうどこの国鉄民営化を挟む時期に運転されていました。
管理人も、2歳か3歳ぐらいのときに、下関駅で母に抱かれて、赤いJRマークの付いた特急色の485系を見た記憶があります。
調べてみると、レッドエクスプレスになってからも下関に来ていたそうです。

寝台特急あさかぜ82号・あかつき82号
波動用の20系客車を用いた多客臨ですね。客車3段寝台の表示があります。
あさかぜは「ホリデーパル」充当でしょうか?

客車ラッシュ
19時台は、富士(19:23-28)・はやぶさ(19:34-39)・あさかぜ82号(19:46-56)と、3本の寝台特急が立て続けに発着します。
そして、富士とはやぶさの間には、長門市行き860レ(19:31)が発車し、客車列車が連続します。

急行さんべ82号
これも多客臨ですね。
急行さんべは、国鉄時代に夜行便がありました。
まさか、JRになってからも臨時化されて残ってたとは思いませんでした。
ただ、寝台の表示ががないので全車座席車。車両は12系か14系座席車でしょう。

九州からの気動車列車
九州の非電化路線からも直通列車がありました。
田川後藤寺発5420Dと、添田発722Dです。
後者は日田彦山線の列車ですが、前者は何と、田川線経由です。
添田発の列車はキハ66系で、折返しで筑豊線経由の快速になるはずです。



こうして見ると、30年の間にかなり様変わりしていることが改めてよくわかります。
まさに隔世の感です。
当時の下関駅は、まだ鉄道の要衝としての地位が今よりももっと高かったことがうかがえます。

次は、鹿児島本線をじっくりと見てみたいです。