鉄道でいろいろやるブログ

タイトルの通り、鉄道に関するいろいろなことを紹介します。 メインは、模型工作や雑記、たまに発達障害の話題も。

カテゴリ: 考察

この記事で取り上げているのは、かつて下関市にあった路面電車の山陽電気(現 サンデン交通)です。山陽電気道ではありません。

今年も、恒例の公民館の文化祭に模型を出展します。
出品予定の作品として、現在、200形206号と、300形を制作中なのですが、ここで思わぬ問題が発生しました。

cap20190923225239
(画素の少ないwebカメラで撮影した写真ですが、左が300形、右が200形です)


山陽電気軌道の電車の塗装は、上半分がクリーム色で、下半分が緑でした。
土佐電気鉄道に譲渡された700形が下関時代の塗装に復刻されたときもこの塗装でした。

さて、管理人は大学生のころ、知り合ったOBの方から、山陽電気軌道700形の形式図のコピーを頂きました。確か、「鉄道模型趣味」誌の特集号、「TMSスタイルブック」だったと思います。
その解説には、
塗色は上半クリーム、下半マルーン
と書かれていました。
駅旅・ゆけむり研究室」様の列車アイコンにも、下半分が茶色の700形のアイコンがあります。

しかし、管理人は山陽電気軌道の電車がクリーム色とマルーンに塗られたカラー写真を見たことがなく、クリーム色と緑の写真と、広告塗装で下半分が赤に塗られた車両の写真しか見たことがありませんでした。

さて、最近当地では「下関市の昭和」という郷土資料的な写真集が発売されました。

(こちらです。amazonにもありました。表紙に早速山陽電気軌道の電車が写っています。)

書店でこの本の見本を見てみると、何と、本当にクリーム色とマルーンに塗られた700形のカラー写真がありました。
思わず「あったんだ」と声に出てしまいました。
管理人の中で、クリーム色とマルーンの塗装の存在が晴れて証明されたのです。



ここで気になるのが、「このクリーム色とマルーンの塗装は他の車両にも塗られていたのか?」ということです。
まず、google検索で見つけて資料として保存していた写真を、白黒写真をカラー化してくれるサイトに読み込んでカラー化しました。(こちらこちらを利用)
すると、下半分はマルーンになりました。

さて管理人の両親は、山陽電気軌道に乗って高校に通学していました。
しかし、聞いてみたところ父も母もマルーンに塗られた車両があったかどうかは記憶が曖昧でした。

白黒写真をカラー化して下半分がマルーンとなったのが正しいのであれば、昨年制作した100形(2軸単車)や、現在制作中の200形206号も含め、緑色に塗るとおかしいというケースが出てきそうです。

DSCF3721
昨年制作した100形109号

それとも、これはあくまでもAIによる機械的な色の変換なので実際は緑なのかもしれません。
また、下半分がマルーンなのは700形だけだった可能性も否定できません。

果たして、クリーム色とマルーンの塗装はどのように用いられていたのでしょうか?


2019/9/24 追記
本日書店に立ち寄ったので、「下関市の昭和」の見本を確認したところ、写真が掲載されていたマルーンの700形は703号でした。
そのほかの車両は、前述の109号も含め、全て緑色でした。

最近、JR貨物にある変化が感じ取られました。
それは、「JRF」マークが消えているということです。

まず、2014年頃から製造されたコンテナ(19D、19G、V19C、30D etc.)は、JRFのロゴではなく、通常の「JRマーク」と「JR貨物」のロゴのみというシンプルな塗装となりました(水色のコンテナ時代に回帰した感がある)。

さて、半月前、鉄道ファン675号(2017年7月号)を読んでいたら、「POST」のコーナーに
「3/25撮影、コキ104-1001からJRFマーク消える」
という投稿がありました。
記事によれば、JRFマークを省略して出場するコンテナ車が見受けられるとのこと。

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この記事を読んでいたのは列車内だったので、ちょうどすれ違った貨物列車を見ると、確かにJRFマークのない車両が複数ありました。

この状況から、
「JR貨物はJRFマークの使用をやめるのか?」
と思いました。
しかし、機関車についてはJRFマークが残っているので、この説には疑問が残りました。



ところが昨日、幡生にてJRFマークの無いEF210を目撃しました。
車番は105号機。側面には「桃太郎」のロゴしかありませんでした。

ググって出てきた鉄道ファンの「鉄道ニュース」(2017年5月18日掲載)の記事によると、5月11日に広島車両所からJRFマークが省略されて全検出場したとのこと。

真相は不明ですが、これらの動きからして、JRFマークはこれから使われなくなる可能性が十分にあります。
今後の動向がとても気になります。








タイトルの通り、春なので、小学生時代のダイヤを振り返ってみました。

 私が通っていた小学校は、山陽本線小月駅から直線で500mほど埴生寄りの、ちょうど山陽本線を見下ろす丘の上にありました。
入学式翌日の登校初日から、休み時間に校庭で列車を見ていました。

そこで、休み時間ごとに見ていた列車を思い出してみました。
ただ、中学年からは、休み時間を図書室で過ごすことが常態化したので、94~96年頃の情報としてご覧ください。
(休み時間終了時刻は、予鈴の時刻を書いています)

朝休み(~8:10)

登校してから始業(朝学)までの時間です。
学校到着時刻によっては、校門で見ることもありました。

寝台特急みずほ


「みずほ」が廃止されたのは94年12月なので、入学時にはまだ運転されていました。
小月通過時刻は7:50ぐらいだったと思います。
廃止後は、後述の貨物列車が「みずほ」のスジで運転されるようになっていたと記憶しています。

貨物列車(下り)

牽引機はEF65。
一度だけ、ぶどう色のEF65が牽引していたことがあります。
踏切を渡って通学している友人が、EF66との重連(多分ムド(無動力回送))だったと報告してくれたことがあります。
この時期のJRコンテナは、国鉄から継承されたものも数多く残っており、全体的に水色・黄緑、そしてJOTのコンテナの白の3色でした。
この時期から、JRFレッドのコンテナが現れ始めます。

寝台特急さくら
いつしか、「みずほ」とほぼ同時刻に「さくら」が走るようになりました。
もちろん、当時は単独運転で、長崎行きと佐世保行きでした。

普通下関行き
115系4両編成。
一時期、クハが瀬戸内色、モハが広島快速色という編成が走っていました。

普通小郡行き
415系4両編成。

貨物列車(上り)
当時の幡生発着運用としては数少なかったと思われる、EF200牽引の列車です。
機関車次位のコキには「下関」と書かれた、下関漁港組合のUR1形コンテナが積まれていました。(2000年代初頭まで、漁港内に貨車が乗り入れていたそうです)

この列車が通ったら、朝休みは終わりです。

中休み(10:10~10:30)

普通下関行き
105系3両編成。宇部新川発。
2両編成の上り側にクモハを連結した、「Tc-Mc-Mc」または「Mc-Mc-Mc」の3両編成(今から10年ほど前まで、クモハ105を2両背中合わせに連結した編成があった)。
ごくまれに、さらに2両編成を連結した5両編成や2連×2の4両編成だったことがあります。
また、先頭に123系が連結されているのを1回だけ見たことがあります。

小月で後続の貨物列車を退避するため、小月駅の場内注意現示を受け、かなり減速して通過していました。
休日に出かけるときは、この列車に乗ることも多かったです。

貨物列車(下り)
小月で前述の普通列車を追い抜きます。
牽引機はEF65でした。
この時期は、コキ50000系に混じって、コキ5500がまだ残っていました。

クモハ42回送
小野田線本山支線用のクモハ42は、95年ごろから週3回(月・水・金)、検査のため下関まで回送されていました。
96年の鉄道の日のイベントで2両編成で運転されたのですが、その前日は2両編成で回送していました。

ちなみに、中休み終了前に予鈴代わりに流れていた曲は「ハイケンスのセレナーデ」でした。
(車内チャイムと全く同じ個所があるのに、この曲がそうだとは思っていなかった)

昼休み(12:50?~13:30)

普通下関行き
105系2両編成。

普通宇部線経由小郡行き
105系3両編成。
前述の列車の折返し。

貨物列車(下り)
臨時のスジなのか、まれに13:20ごろに下りの貨物列車が通過することがありました。
コンテナ列車であることがほとんどでした。
しかし、小1の秋、EF66(貨物更新機or100番台)が黒い無蓋車や長物車を牽引する列車が通りました。
しかも、後ろの方の車両には、カバーが掛けられ、下にキャタピラの見えるグレーの物体が積まれていました。幼心にも「戦車が積まれてる!」と思いました。
自衛隊の演習のために戦車を運ぶ貨物列車が運転されていると知ったのは、それよりもずっとあとです。

貨物列車(上り)
牽引はEF65。
ごくまれにムドのEF65が連結されていました。
コキ50000で組成された列車でしたが、20ftのタンクコンテナが載った車両だけコキ104でした。
のちに全車コキ104で組成されるようになり、18D形コンテナばかりが積まれた車両が2両連続していると「カトーのコキ104の2両セットだ!」と思ったものです。




振り返ってみると、やはり、この約20年の間にかなり事情が変わっていることを感じさせられます。
ここには書いていませんが、私が小学校に入学したころは、まだ下関では103系が走っており、非冷房の115系もいました(しかも、卒業するころまで)。

復刻時刻表のときも言いましたが、当時はまだにぎやかさがあったことを改めて感じました。















 

本日で、JRは30周年を迎えました。
そこで(といっても、いずれやるつもりだった)、また復刻時刻表1987年4月号を見ていきたいと思います。 
今回は、下関駅の下り列車です。

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3月24日に、上り列車について考察しましたが、当然ながら下り列車はその逆パターンとなります。
つまり、下り列車の始発駅は上り列車の終着駅であり、下り列車の終着駅は上り列車の始発駅で、結んでいる区間は大体同じです。

違う点として特筆すべきは、急行「ながと」です。
この「ながと」は下りと上りで運転区間が違います。
上りは下関発益田行きでしたが、下りは浜田発小倉行き(下関から普通)となっています。

山陽本線の普通列車で意外だったのは、11:41着の1627Mと、15:43着の2425Mです。
いずれも呉線絡みです。

1627Mの始発駅は、呉線の安浦です。
安浦は広島地区内の区間便が折り返すイメージの駅(失礼)でしたが、かつては下関行きというロングランの列車の始発駅でもあったのですね。

2425Mは、岡山発なのですが、何と呉線経由です。
呉線経由の列車は、起点である三原か、留置線のある糸崎発着というイメージを持っていたので、こんな長距離列車が呉線経由とは意外でした。



続いて博多駅(下り)です。

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臨時列車も含め、掲載されている列車を列挙すると、下関の倍ぐらいの本数があります。
もちろん、臨時列車も含めているので、この表の全ての列車が運転される日はありません。

普通列車

まず、この時期の鹿児島本線の快速は1時間に1本で、しかも博多以南は各駅停車で、熊本までのロングランも多いです。
現在でも、南福岡以南が各駅停車の快速がありますが、当時は博多以南には快速が全く運転されていません。(臨時列車と「くまがわ」を除く)
そして、8:12発の129M普通南福岡行きは、笹原通過です。

一方、博多止まりの列車を見ると、香椎線からの直通列車(西戸崎発)が結構な本数設定されています。
以前は確かラッシュ時のみ博多発着がありましたが、現在は博多発着の香椎線列車は設定されていません。

筑豊方面からの列車も、田川後藤寺や若松発の列車もあり、始発駅も多彩です。
八幡発の快速がありますが、電化直後の福北ゆたか線の電車列車もこの運転パターンがありました(停車駅は変わってたかな?)。

特急列車

博多駅は、発着する特急の系統がJRトップレベルで多いです。
しかし、当時は特急の系統が細分化される前なので、九州内の昼行列車に限れば「有明」「かもめ」「みどり」「にちりん」の4つだけです。
しかも、全て485系(もちろん国鉄特急色)でした。

有明は、日中は1時間に2本の30分ヘッド。
西鹿児島(現 鹿児島中央)行きと熊本行き(一部水前寺行き)が交互に走ります。

そして、この1987年春から水前寺乗り入れが始まりました。
但し、豊肥本線内(熊本~水前寺間)は普通列車で、「毎日運転の臨時列車」という扱いだったそうです。
当時の豊肥本線は非電化なので、国鉄特急色のDE10が牽引し、DE10と485系の間には電源車としてスハフ12が連結されたのですが、このスハフ12は青のままでした。
せっかくDE10を485系に合わせた国鉄特急色にしたのに、スハフ12の塗装も変更しなかったのは以前から不思議に思っています。

かもめみどりは、この時期は連結運転をせず、別々に運転されています。

特急はある程度固まって出発しており、かもめorみどりのあとを有明が追いかけていく形となります。
春休み・GWの臨時便も、定期便のすぐ後を追う形で設定されており、定期列車と合わせて3連続で特急が発車する場合もあります。

博多駅を発着する特急ですが、のちに「有明」の西鹿児島行きは「つばめ」として分離。783系を使用した列車は「ハイパー有明」となります。
長崎・佐世保本線系統には「ハウステンボス」が加わり、「にちりん」も883系充当の「ソニックにちりん」(のちに大分発着列車は「ソニック」として分離)、787系充当(当初は)の「にちりんシーガイア」が登場、急行「由布」の格上げによる特急「ゆふ」、観光向けの特急「ゆふいんの森」が登場するなど、系統の新設・再編が行われ、現在はもはや別物です。

*寝台特急は下関駅のときに触れたので、今回は扱いません

急行列車

現在、JR自体に急行列車がありませんが、当時は各地で運転されていました。

由布は現在格上げされて特急「ゆふ」となっています。
1989年に同じ経路で観光列車の「ゆふいんの森」が登場。
「ゆふいんの森」は当初から特急として運転されましたが、急行「由布」は1992年に特急に格上げされました(門鉄OBだった祖父がJR九州のキハ185系のパンフをくれたことがある)。

くまがわは特急格上げ後、昨年3月まで運転されていた列車です(今年運転開始した「やませみ かわせみ」は「くまがわ」を格下げした快速を再び特急に格上げする形で運転されている)。

当時の「くまがわ」は1往復のみで博多~湯前の運転。
博多~熊本間が快速、熊本~人吉間が急行、人吉~湯前間が普通です。
1989年には、運転区間が熊本~人吉間に短縮されました(代わりに急行「えびの」が博多発着となる)。
そして、湯前線のくま川鉄道転換後の1991~1993年の間、湯前乗り入れが復活しています。

かいもんは、九州内を走る夜行列車です。
座席車6両+寝台車2両で編成され、座席車は12系、寝台車はこの当時は20系でしょうか?(子供の頃に持っていた、幼児向けのブルートレインの本には20系の写真が載っていた。のちに24系に変わる)
1993年には特急に格上げ+電車化され、「ドリームつばめ」となります。「つばめ」ですが、当初は783系で運転されていました。
さらに、2004年の九州新幹線部分開業後は熊本行きの「有明」となり(熊本には深夜1時台に到着)、九州新幹線全線開業まで運転されました。

臨時列車

臨時列車は超カオスです。

順当に行きましょう。

寝台特急明星
下関が運転停車だったので、下関駅の時刻を取り上げたときには触れなかった列車です。
一時期1日7往復が設定され、「あかつき」とともに関西ブルトレの一大勢力を誇っていた列車です。
1986年に臨時列車化され、JR化後も運転されていましたが、のちに急行「霧島」(現在の特急「きりしま」とは無関係)に格下げされます。

急行ひのくに
「迷列車で行こうシリーズ」で取り上げられた列車です。
充当された車両は715系といういわゆる「遜色急行」で、末期は811系で運転されます。

快速有田陶器市号
有田陶器市の臨時列車は現在でも盛んに運転されていますね。
今年はどうかは未確認ですが最近は特急「みどり」が増発されます。

快速メルヘンフェスティバル号
初耳の列車です。
調べたところ、大分県玖珠町で5月5日に開催される「日本童話祭」に伴う臨時列車です。
大分側からは、客車列車の「童話号」が運転されてます。

急行パノラマライナーサザンクロス
12系改造のジョイフルトレイン「サザンクロス」を使用した列車ですね。
が、この列車にはとんでもないツッコミどころが
発車時刻に注目してください。
この列車の発車時刻は8:53なのですが、1本前の929M普通荒尾行きも8:53発となっています。
「迷列車」動画でも取り上げられたことがありますが、九州では臨時列車が定期列車と同時刻に発着するダイヤが組まれることが稀にあるそうです。
もちろん、複々線区間ではないので、どちらかの列車が遅れることになります。
この列車の場合、929Mが少し遅れて発車することになっているはずです。

特急有明91号

これも「迷列車」で触れられていたような気がしますが、客車列車です。


九州は臨時列車が面白いです。
現在は高速道路網の整備や、高速バスが手軽になったり、新幹線が開業したりで定期の特急列車すら減っています。
昔は多彩な列車が運転されていたことを再認識させられます。


前回紹介した「時刻表復刻版1987年4月号」を手にして最初に見たのが、地元、下関駅の時刻です。
そして、当時のダイヤと現行のダイヤを比較してみました。

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 で、表にしたのがこちらです。(クリックで拡大。さらにクリックすると等倍になります)
今回は上り列車を見ていきます。

ピンクの部分が1987年、水色の部分が現行(2017年)です。
2017年の方には空の行がありますが、これは比較しやすいように、87年と2017年で大体同じ時刻の列車が同じ行に並ぶようにしたからです。

普通列車オンリーで、全列車が折返しの現行ダイヤと比べ、87年は華やか(山陽新幹線開業前ほどではないものの)です。

本数

まずは手っ取り早く本数の比較です。
87年は山陽・山陰方面と九州からの列車を合わせて117本、2017年は134本です。
(時刻表に掲載されている本数基準。臨時列車を含み、客扱いをしない列車は除外)

2017年の方が本数が多いですが、これは単に下関で山陽・山陰方面と九州方面で系統が分断され、直通列車が1本もないからです。
そこで、上記の表では、九州~山陽・山陰の接続が行われる場合は両者を1行にまとめて、直通列車に見立てて記述しました。
こうして見ると、やはり現在は列車の発着頻度が下がっているのが分かります。

列車本数の内訳は、
●九州から
1987年:58本
2017年:62本

●山陽方面
1987年:52本
2017年:46本

●山陰方面
1987年:31本
2017年:24本
となっています。
(時刻表に掲載されている本数基準。臨時列車を含み、客扱いをしない列車は除外)
1987年の本数は、九州からの直通列車があるので、重複して数えている列車があります。

優等列車が全廃された現在は、当然ながら本数は減っています。
しかし、九州方面は逆に本数が増えています。
優等列車が廃止された分だけ減るのではなく、逆に普通列車ばかりが増えているのです。

運転系統(始発駅と行先)

運転系統も、当然ながらかなり違います。
現在は運用区間が狭まり、パターン化された感じが否めませんが、当時は行先や始発駅が多彩です。

意外だったのが、当時の鹿児島本線の快速は、日中は下関発着だったことです。
鹿児島本線のページを見ると、日中の快速は上りが下関行き、下りが門司港発となっています。
交流型電車で運転されている現在ではなし得ない運用です。

山陽本線では、呉線まで行く列車が結構な本数があります。
現在はラッシュ前後に数本設定されている宇部線直通列車も、2時間に1本ほどの割合で設定されています。
管理人が利用する小月駅で折り返す列車は1本もありません。

最終の厚狭行きは気動車ですが、これは管理人が小学生の頃までそうなっていました。
というか、管理人が小学生の頃のダイヤは、この87年のダイヤの原形がある程度残っていました。(始発直後の厚東行き(220M)など)

山陰本線は、何と言っても客レや急行がまだまだ健在。
早朝には、驚くべし出雲市行きがあります。(842レ)
やはり、機回しが必要な客車列車は小回りが利かないのか、中~長距離運転で、少なくとも長門市以北へ向かい、東萩、益田、浜田行きもあります。
そして、客車列車は宇賀本郷に止まりません(手持ちの1973年の時刻表でも客レは宇賀本郷通過だった)。

ちなみに、各方面の普通・快速列車の終着・始発駅で最も遠いのが、
山陽本線(終着駅):岡山
山陰本線(終着駅):出雲市
鹿児島本線(始発駅):熊本
日豊本線(始発駅):幸崎
でした。
岡山行きは、後年のように快速シティーライナーにならず、各駅停車の純粋な普通列車です。

その他の注目ポイント

臨時列車「先帝祭号」
「先帝祭」は、5月2~4日に、下関市の赤間神宮で催される、安徳天皇を偲ぶ祭事です(「海峡まつり」という大々的なイベントが合わせて開催され、そのメインイベントとなっている)。
それに合わせた臨時列車なのですが、山陽線の便も気動車で運転されています。車両はキハ58系でしょうか?
現在のイベントのための臨時列車は愛称名が付かないので、そこに当時と現在の意識の違いを感じます。

L特急にちりん8号・24号
一時期下関発着便があった「にちりん」ですが、ちょうどこの国鉄民営化を挟む時期に運転されていました。
管理人も、2歳か3歳ぐらいのときに、下関駅で母に抱かれて、赤いJRマークの付いた特急色の485系を見た記憶があります。
調べてみると、レッドエクスプレスになってからも下関に来ていたそうです。

寝台特急あさかぜ82号・あかつき82号
波動用の20系客車を用いた多客臨ですね。客車3段寝台の表示があります。
あさかぜは「ホリデーパル」充当でしょうか?

客車ラッシュ
19時台は、富士(19:23-28)・はやぶさ(19:34-39)・あさかぜ82号(19:46-56)と、3本の寝台特急が立て続けに発着します。
そして、富士とはやぶさの間には、長門市行き860レ(19:31)が発車し、客車列車が連続します。

急行さんべ82号
これも多客臨ですね。
急行さんべは、国鉄時代に夜行便がありました。
まさか、JRになってからも臨時化されて残ってたとは思いませんでした。
ただ、寝台の表示ががないので全車座席車。車両は12系か14系座席車でしょう。

九州からの気動車列車
九州の非電化路線からも直通列車がありました。
田川後藤寺発5420Dと、添田発722Dです。
後者は日田彦山線の列車ですが、前者は何と、田川線経由です。
添田発の列車はキハ66系で、折返しで筑豊線経由の快速になるはずです。



こうして見ると、30年の間にかなり様変わりしていることが改めてよくわかります。
まさに隔世の感です。
当時の下関駅は、まだ鉄道の要衝としての地位が今よりももっと高かったことがうかがえます。

次は、鹿児島本線をじっくりと見てみたいです。










 

JR30周年を記念して、JTBパブリッシングより刊行された「時刻表復刻版1987年4月号」を入手しました。
1890円と高価ですが、資料的価値が高く、しかも管理人が生まれる年の時刻表ということで外すことができず、思い切って購入しました。(購入したことをツイートしたら、JTB時刻表の編集長氏がいいねしてくださりました)

本記事執筆時点で、楽天ブックスではすでに品切れとなっていました。
興味のある方、ご購入はお早めに!
(この記事の一番下にアマゾンのリンクを貼っています。品切れ・高騰していても当方は責任を負いかねます)



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で、こちらが現物です。
表紙の100系が、何気に試作車です。
装丁は通常の時刻表と同じです。
「永久保存版」と言っても過言ではないほど資料的価値の高い本書ですが、これでは心もとないので、保存や使用には細心の注意が必要です。
隅々まで舐めまわすように読みたいという場合は、保存用と閲覧用で複数冊購入した方が良いでしょう。

路線図

開いてみると、索引地図や路線図のデザイン(特に色使い)にノスタルジーを感じます。
地下鉄路線図は、ラインカラーではなく、赤・青・緑の3色の線で示されています(実線・破線など形を変えてある)。

この時点では、現在第三セクターに転換されている路線の大部分が未転換です。
さらに、名寄本線、鍛冶屋線、上山田線などの廃止路線もまだあります。
私鉄も、筑波鉄道や片上鉄道がまだあります。

見つけられる限り書き出したものは次の通り


当時まだ現存していたJRの廃止路線(90年代前半までに廃止された路線)

標津線
名寄本線
天北線
松前線
鍛冶屋線
大社線
宮田線
上山田線
山野線
青函航路(青函連絡船)
宇高航路(宇高連絡船)

第三セクターに転換されていない路線(90年代前半までに転換された路線)

池北線(北海道ちほく高原鉄道)
長井線(山形鉄道)
会津線(会津鉄道)
足尾線(わたらせ渓谷鉄道)
真岡線(真岡鉄道)
木原線(いすみ鉄道)
七尾線(七尾以北)・能登線(のと鉄道)
信楽線(信楽高原鐡道)
宮津線(宮福鉄道→北近畿タンゴ鉄道→京都丹後鉄道)
若桜線(若桜鉄道)
中村線(土佐くろしお鉄道)
岩日線(錦川鉄道)
伊田線・糸田線・田川線(平成筑豊鉄道)
松浦線(松浦鉄道)
高千穂線(高千穂鉄道)

当時まだ現存していた私鉄(90年代前半までに廃止された路線)

同和鉱業(小坂鉄道・片上鉄道)
栗原電鉄(のちに「くりはら田園鉄道」に転換。2007年廃止)
筑波鉄道
名鉄岐阜市内線(徹明町~長良北町)
野上電鉄
下津井電鉄
西鉄北九州線(砂津~黒崎駅前)

未開業の路線(90年代前半までに開業した路線)

札幌市営地下鉄東豊線
千歳線(南千歳~新千歳空港)
津軽海峡線
秋田内陸縦貫鉄道(比立内~松葉)
仙台市営地下鉄
山形新幹線
阿武隈急行(福島~丸森)
営団(現 東京メトロ)半蔵門線(半蔵門~押上)
営団有楽町線(新富町~新木場)
都営新宿線(篠崎~本八幡)
西武有楽町線(練馬~新桜台)
東北新幹線(東京~上野)
京葉線(東京~南船橋・千葉みなと~蘇我)
京王(当時は京王帝都電鉄)相模原線(京王多摩センター~橋本)
小田急多摩線(小田急多摩センター~唐木田)
相模鉄道いずみ野線(いずみ野~湘南台)
横浜市営地下鉄(湘南台~舞岡・新横浜~あざみ野)
京成千葉線(開業時は千葉急行電鉄)
成田空港高速鉄道(成田・京成成田~成田空港。当時は現在の東成田駅が成田空港駅)
北総鉄道(開業時は北総開発鉄道)高砂~初富
住宅都市整備公団(後の都市基盤整備公団。現 千葉ニュータウン鉄道) 千葉ニュータウン中央~印西牧の原
千葉都市モノレール
京急空港線(羽田空港(現 天空橋)~羽田空港(現 羽田空港国内線ターミナル))
東京モノレール(羽田(現 天空橋)~羽田空港)
名古屋市営地下鉄鶴舞線
名古屋市営地下鉄桜通線
名古屋市営地下鉄名城線(大曽根~新瑞橋以外の区間。当時大曽根~名古屋港間が名城線。金山~新瑞橋間が4号線)
京都市営地下鉄烏丸線(京都~竹田)
京阪鴨東線(出町柳~三条)
大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線
大阪市営地下鉄御堂筋線(あびこ~なかもず)
大阪市営地下鉄堺筋線(動物園前~天下茶屋)
泉北高速鉄道(光明池~和泉中央)
大阪モノレール
北神急行
京都丹後鉄道(開業時は「宮福鉄道」のちに「北近畿タンゴ鉄道」に改称)宮福線
本四備讃線(瀬戸大橋線)

と、見つけただけでこんなにあります。
しかも、90年代前半までに変化したところだけでです。
特に、青函トンネルと瀬戸大橋は開業しておらず、まだ連絡船です。

90年代後半以降にも、開業・廃止・転換された路線がもっとあるので、かなり様変わりしていることが再認識できます。



 路線図のことだけでこんなに書いてしまいました。
というわけで、現行の時刻表との比較はまた後日ということで。


昔の時刻表は、興味深くて、見ていて止まらないです。
現在の交通事情との違いが読み取れ、驚きが多いです。
この「時刻表復刻版1987年4月号」に興味のある方は、店頭から無くなる前にお早めに購入されることをお勧めします。
若い鉄道ファンの方にも、是非おすすめです。

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1:18で一時停止すると分かりますが、黒いタキの車番が「タキ243655」となっています。
そのあとにも1:30に「タキ243658」という黒い243000番台が連結されています。

これで、黒い243000番台が現存することが分かりました。
一瞬、「塗装費節約のために再び黒くなった」という浅はかな考えをしましたが、違いました。
Wikipediaによると、タキ243646~243655は黒一色、タキ243666~243680は黒と緑が混在、タキ243681以降は全て緑ということが分かりました。

つまり、黒で落成した車両は現在も黒なのです。
尚、243000番台は台車がグレーなので、簡単に見分けられます。


まとめ

kousatu3-1

タキ43000形243000番台の塗装

・タキ243646~243655 : 黒一色
・タキ243666~243680 : が混在
・タキ243681以降 : 全て緑
黒で落成した車両は現在でも黒

ということです。

次回は後編となる「タンク車に関する一考察 その3-2」をお送りします。
ややこしい塗装の話ですが、今回とは次元の違うお話です。









 

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*この考察は受け売りであり、他の方が書かれた記事で見聞きしたことを自分なりに咀嚼したものです。

かなり間が開きましたが、前回(1月31日)の続きです。

今回は、石油用タンク車が運べる油種について

石油用タンク車は、「ガソリン専用」「石油類(除くガソリン)専用」の2種類があります。

前者は、タキ43000、タキ38000、タキ1000など、後者はタキ44000、タキ45000、タキ17000などがあります。

この区分からすれば、
ガソリン専用:ガソリンのみ積載できる
石油類専用:ガソリン以外の油種は全て積載できる
という考えになるでしょう。

これは確かに正解であり、構造上
ガソリン専用:レギュラーガソリン、ハイオクガソリン用
石油類専用:A重油、B重油、C重油、軽油、灯油、ジェット燃料用
となります。 
この違いですが、
ガソリン専用車は、比重の軽いガソリンの性質に合わせた構造になっています。ガソリンは特に気化しやすいので、そのガスでタンク内が高圧になり、破裂するのを防ぐために、安全弁を2つ備えます。
石油類専用車は、比重の重い重油の性質に合わせた構造となっています。安全弁は1つしか備えていません。

さて、石油は次のように透明か黒いかで「白油」と「黒油」に分類されます。
(参考にしたページ:Yahoo!知恵袋 燃料油の色分け(大別)って、な~に?)

白油:レギュラーガソリン ハイオクガソリン 軽油 灯油 (ジェット燃料は灯油に近い成分)
黒油:A重油 B重油 C重油

(A重油とB重油は軽油との混合物で、特にA重油は90%が軽油。透明に近いが、黒油に分類される)

白油は黒油よりも比重が軽いので、比重の軽いガソリンの性質に合わせた構造であるガソリン専用車に積載した方が効率的なのです。
というわけで、「ガソリン専用」といいながらも、実際は白油であればどの油種でも積載しているのです。
そして「石油類専用」の車両は重油しか積みません。


なので、実質的に
ガソリン専用車「白油専用」
石油類専用車「重油専用」
として運用されているのです。



 まとめ
kousatu2
*瀧君は単なる名前つながりです。


ガソリン専用:実際は白油専用として運用
   ガソリンの他に、軽油・灯油・ジェット燃料を輸送している
石油類専用:実質的に「重油専用」

お分かりいただけましたでしょうか。

今回の記事は、伊勢崎軌道様の「貨車の絵 その9」のページでの解説を参考にさせていただきました。




1月ほど前、Twitterのタイムラインに、タンク車に並々ならぬこだわりを持っている方(Nゲージのタキを約800両お持ちとのこと)のツイートが流れてきました。
この方のツイートは以前にもタイムラインに流れてきていたのを見たことがあり、「いいなこれ」と思っていました。 

「君の名は。」の小説版を読み始め、主人公の瀧に引っ掛け、私もタキ沼*に落ちてみました。

*沼(ぬま)
ネットスラングの1つ
意味は、
①相手を知的障がい者呼ばわりして罵る際に用いるスラング「池沼」(ちしょう=知障)の略。
②「底なし」から転じて「抜け出せないほどにはまってしまうジャンル」の意。
勿論ここでは②の意味です。(①の意味で使ってはいけませんよ?)
参考: Yahoo!知恵袋「二次創作などで見かける「沼」ってどういう意味ですか?」



タンク車の種類

現在日本で運用されているタンク車は主に、石油用、化学薬品用、セメント用の3つです。

今回は、石油用のタンク車について考察していきたいと思います。

*この考察は受け売りであり、他の方が書かれた記事で見聞きしたことを自分なりに咀嚼したものです。



石油列車が運転される理由

JRにおける石油の輸送は、主に首都圏(京浜・京葉)・中京・仙台の沿岸部(港湾)から内陸の都市に向けて行われます。

主な始発駅は、川崎貨物・根岸・浜五井・仙台北港・四日市などで、終着駅は郡山・宇都宮タ・倉賀野(高崎の隣)・八王子・竜王(甲府の隣)・南松本などです。

いずれの始発駅も、製油所・油槽所の最寄り駅で、終着駅も、内陸部にある中心都市です。


かなり甘い計算ですが、石油情報センターによると、日本人の1日当たりの石油消費量は約6l。牛乳パック約6本分です。
例えば群馬県であれば、人口約196万人なので、単純計算で1日に必要な石油は約1180万l(11万1800kl)です。
つまり、牛乳パック約1180万本分。牛乳パックの高さを約20cmとすれば、倒したものを縦にして並べると2360km(!)。東京~博多間を往復する距離になります。

海に面した地域ではタンカーで運び込めますが、内陸部へは当然陸路で輸送する必要があります。
安定して大量に輸送するには、パイプラインを敷くか、鉄道輸送しかありません。
(日本でもパイプラインを作ろうという計画はあったが見送られたらしい)

なので、港湾部の油槽所・製油所から内陸都市へ毎日石油を運ぶ貨物列車が運転され、重要なライフラインの1つとなっているのです。
特に日本オイルターミナルは、自らの事業を「走るパイプライン」としています。

と、今回は触りを書きました。

次回は、「ガソリン専用」と「石油類専用」の意味についてを予定しています。







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